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zoom RSS リチャードコシミズの原点【オウムの真相を知るイキサツ】━H小野善久

<<   作成日時 : 2013/05/15 21:53   >>

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 警視庁刑事 小野善久(おのよしひさ)
警察手帳には「刑事部捜査第一課警部補 小野善久」と書いてある。
見た目は、長門勇によく似た小柄な男。


小野の立場から見た出来事

1999年10月12日 警視庁のホームページで、「3件の保険金殺人事件」の告発メールを着信した。警視庁からすぐに反応はしなかった。

1999年10月29日12時55分 警視庁捜査一課の小野と鈴木が、リチャードコシミズの事務所に電話して「警視庁にもらったE.メールの件で、話を聞きたいので10月30日(土)か31日(日)のどちらかに警視庁に来てください。資料まとめて持ってきてよ。」と言った。リチャードコシミズは、翌30日の土曜日に訪問することを約束した。

1999年10月30日土曜日午前10時過ぎ リチャードコシミズが警視庁に到着した。小野と鈴木が、ロビーまで出迎えに行き、背後から声をかけた。
リチャードコシミズの持ってきた資料の説明を一通り聞いて事情聴取を行ったが、調書を作成せず、署名や捺印も求めなかった。

1999年10月30日土曜日午後3時過ぎ 鈴木と一緒に、リチャードコシミズの神奈川の自宅までついて行った。

1999年11月1日〔月〕昼前 リチャードコシミズが警視庁捜査一課長あてに、「11月3日の文化の日には、警視庁を再訪できない」という趣旨で、捜査が擬装であり、正体を見破っていることがはっきりするメールを送ってきた。「3人の役員・社員の殺害を依頼したアーテックに対する取引のもちかけ」ともとれることも書いてあった。

1999年11月1日午後4時ごろ 鈴木と一緒にアーテックに行った。そして、告発人が主犯格と言っていた中島と応接室に入り、数時間話をした。さらに、翌2日にも再訪した。
そして、当日夜及び翌日、リチャードコシミズの携帯電話に留守番電話を3本入れた。
伝言内容は「告発人のメールが示唆しているアーテックへの取引提案(賠償金の支払)に対する肯定的解答」の意味と捉えることができるものだった。

1999年11月8日 リチャードコシミズの自宅に電話し、留守番電話に「今度、奥さんと一緒に会いたい。」と入れた。

1999年11月9日 警視庁捜査一課長あてにリチャードコシミズから再度メールが届いた。

1999年11月20日 リチャードコシミズが警視庁の犯罪被害者相談室にファックスを送ってきた。警察庁のホームページにもメールを送ってきた。

1999年11月23日(木、祭日)午後2時頃 リチャードコシミズがアーテックの中島あて送付したファックスの解答を持って、鈴木と一緒に、リチャードコシミズの自宅を突然訪問した。マンションのロビーの入り口で3人は話した。
顔が黄変し薄汚れてやつれ、体は小刻みに震えた。
短い会話の後に鈴木と一緒に帰った。背中を丸めてとぼとぼと歩いた。


分析:

………家族と取引先と信原麗だけが知っている事務所に、電話をした件について………
 フジテレビの信原麗と小野がどこかでつながっていて、個人情報を共有する関係であると考えれる。マスメディアと警察の両方から情報を得て、その両方をコントロールする組織的存在を疑う必要があるのだろうか?
 小野も警視庁と事件の中間にいる存在である。警視庁へと事件関係者へと別々の話をすることも可能である。

………顔がやつれ、体は小刻みに震えたことについて………
 1999年11月23日の小野の挙動不審はどんな理由が考えられるだろうか?
 「この件は私が担当しているんで。私が責任持ってやってますんで。」と言っていることから、担当者なのにこの件が良い方に行ってないからと考えれる。
 しかし、誰にとって良い方向を目指しているのだろうか?犯罪者にとって良い方向に持って行っていませんか?
 過去に、ワイロか何かを握らされて、それをバラスぞと脅されて、板挟みの状態で仕方なく行っていたからだろうか?
 それなら、ワイロか何かがワナだったら、簡単に犯罪者にコントロールされ易い人間に変えられてしまうことになる。警察官には警察官としての自覚が必要だってことですね。もし、ワナにかけられたら、暴露して辞める覚悟があれば悪人は減るかもしれません。
 小刻みな震えは、人間としての良心から悪いことをすることへの拒絶が起きていたようにも思います。



1999年10月30日のリチャードコシミズと接触の内容

正規の捜査ならば、当然一番大事な資料として上司から渡されているはずの告発メールのコピーを手元に持ってないので、リチャードコシミズに今持っているかと質問した。

「あんたの告発が、オウム真理教に関連しているんで、オウム対策担当の私の部署に捜査の指示がきた。ほら、警察手帳にも挟んである記事のとおり、前からオウム担当してんのよ。私が中心になって、これから捜査を進めるから。いやね、オウムの事件では、捜査一課は出る幕無くって、歯軋りしてたのよ。刈谷清志さん拉致事件でやっと出番が回ってきたわけよ。」 と言った。
後日、リチャードコシミズの携帯の伝言に「オウム対策の小野です」と名乗った。

リチャードコシミズ、小野、鈴木、30代の刑事の四人で食堂に行った。ほかの警察官たちから離れた席に座り、菓子パンとパックコーヒーをリチャードコシミズにご馳走し、刑事という仕事にかかわる世間話をした。

「タンクローリーの爆発事故で、捜査に忙しい。」「この事故は原因が不明だから、犯罪の可能性がある。」などと言った。
捜査一課の中で放火並びに失火を捜査する火災班捜査1係及び2係という部署、または、この事故を担当した第2特殊犯捜査、特殊犯捜査第4係という部署に所属していたと考えれる。
しかし、この部署は「オウム対策」とは関わりのない部署である。
この事故の運転手は創価学会の地区支部長であったので、警視庁の創価警察官が、創価の仲間をかばうために駆り出されたと考えれる。

リチャードコシミズが、マスコミのフジテレビ報道記者、信原麗と連絡していると言ったが、固い表情のままで、それにはただの一言も質問しなかった。

「殺人容疑の死者の主治医は、オウム信者を全員把握できている光ディスクのリストになかった。」「ざっと調べただけで、これから細かく調べるから。」(この言葉を何度も繰り返した)と言った。

リチャードコシミズに、車で自宅に行くことを鈴木が執拗に主張していたとき、外の部屋との往復を繰り返し、最後の最後に、二人の間に入って電車で行くことを了承した。

東海道線のなかで、「記念」に写真を撮られたが、気がつかなかった。写真を撮ったことは、後日リチャードコシミズからメールで伝えられた。  

リチャードコシミズの自宅マンションに到着し、脅迫状の コピーをもらうまで、鈴木と階下の入り口近くで待っていた。

リチャードコシミズが、姉の自宅の電話番号を教えられないと断ったこと、電車で平塚に行くことを主張したこと、自宅に訪問者がいることを伝えたことなどから、リチャードコシミズが我々の正体を疑っていると薄々解った。


1999年11月23日のリチャードコシミズと接触の内容

リチャードコシミズに、
「調べたら、特に何も出てこなかった。要するに事件性はなかった。」と言った。
「後は、お宅とアーテックとの間の交渉事だから。警察は、もう関係ないから。」と言った。

リチャードコシミズが鈴木に「あんたは何で身分を明かせないんですか?あんたの下の名前は何と言うんですか?警察手帳を見せてください。」と言っているところに、
「いやいや、今度の件は、私が担当しているんで。私が責任持ってやってますんで。」と言った。

リチャードコシミズが「警察手帳を見せてください。」と言ったので、警察手帳を差し出した。

リチャードコシミズが「僕が東京に事務所を持っているって、どうやって知ったんですか?どこから聞いたんですか?」と言ったので「警察で調べました。」と搾り出すような声で答えた。

リチャードコシミズが「何で宮沢ってやつは、うちのダイヤルイン番号に電話してきたんだよ?どうして知っていたんだよ?」と言ったので「いやいや、この件は私が中心でやっているので。私が責任持ってやってますんで。」と言った。
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